毎日の寒さが生きてる証

昨日は3月位の温かさといわれるくらい過ごしやすかったですね。

外は雨で、乾燥しやすいこの時期にうるおいを加えてくれました。

そして今日はまた寒い。

ま、寒い寒いと言ってると、豪雪地帯の方々に申し訳ないのですが。

日本にはコタツという素敵なものがあります。

畳のお部屋にコタツ。

今はこれがいいなとあこがれになっています。

 

子供のころは、洋式のフローリングが良いと固執してましたが、大人になるにつれ、そんなものは実にくだらないものだと実感しました。

住めば都という言葉もある通り、自分の住まいを良くするも悪くするも自分です。

住まいだけでなく、ほとんどの物事がそうなんだと思います。

が、いくつになっても気づかない人がいるものです。

私の周りの女子にも結構います。で、そんな女子には大抵共通する点がありました。

 

自分を見ないで自分のことばっかり気にしている。

周囲を見ないで周囲のことばっかり気にしている。

 

…どういうこと?なんて思うかもしれません。

まったく別の見方でいうと、

 

無いものばかり気にして、有るものを無視している。

 

これに尽きますね。

 

しかも、そんな女子は、悩みたがり、不幸になりたがり、悲劇を作りたがる(けど、実際悲劇を作ることはできない)

 

なぜ、そうしてしまうのか?本人たちは決して不幸は望んでいないんですね。

 

この感情を二次的感情と仮定したら、ある程度理解できるようになったんです。

それは、二次的感情はその根底に一時的感情があるので、それは何だろうと観察するのです。

彼女たちを見てると、不幸スパイラルを振りまいているときは必ずそばに、心配してくれる人がいるときなんですね。

逆をいうと、誰も同情も心配もしない人ばかりの中では、結構本人たちもドライです。

 

周囲の関心を引きたい、尚且つ自分のコンプレックスを慰めて欲しい。

 

本音はそんなところでしょうか。

 

私は専門家ではないし、当たっているかもわかりません。

人の心は粘土みたいに変わるし、潰れるしね。

それを考えた上で行動するのとしないのとでは、毎日が変化してくると思います。

それが、例え蟻より小さなことでも。

 

今日はこれまで。

 

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