人生は芝居のごとし、上手な役者が乞食になることもあれば、大根役者が殿様になることもある。とかく、あまり人生を重く見ず、捨て身になって何事も一心になすべし。

江戸時代末期から明治初期の中津藩士、啓蒙思想家、教育者。慶応義塾大学の創設者である福沢諭吉さんの言葉です。

昔、小さな劇団役者をしていた時、とあるワークショップを兼ねたオーディションに参加したことがありました。

あの時の企画は女性の実力派?演出家でニューヨークで公演を行うというものでした。

募集は20代くらいまでの女性。募集人数は決まっておらず、集まったのはなんとも個性的な面々でした。

ワークショップ期間は1週間くらいで都内の大きな稽古場で毎日エチュードや作文の連続。

何が長所で短所なのかなんて誰にも分かりません。

兎に角、エチュード(即興劇みたいなもの)でどれだけ面白くできるか、どれだけ人の気持ちに訴えられるか、どれだけ人から関心を持ってもらえるかを考える必死な毎日でした。

そんな中で、周囲に友達も出来て感性が鍛えられ、ある意味充実していたかと思います。

で、あっという間の一週間。

 

 

 

最終日の夜に合格者発表され、結果はオーデションに落ちました。

30名いた中で合格者は10名ほど。演出家は合格者の名前を呼び、最後に「その他の人たちはお疲れ様でした。お帰り下さい。」とその時の様子はアッサリしたものでした。

 

そろそろ、なぜ今回の言葉に関係あるのかと、ハテナが飛んでいる人もいるかもしれないですね。

オーデションに落ちた人の中の一人が演出家に聞きました。今回選んだ人の基準は何?と。

その答えは、

“飛行機に一緒に乗っていて、もし一緒に墜落したとしても後悔しない人”を選んだと。

…完全にその演出家の好みですよね。エチュードの質とかセンスとか関係ないですよね。

私はそれを聞いて、完全に吹っ切れた気がしました。

相手の好みに無理に合わせようとしても、好かれようとしても所詮、人はみんなワガママで気まぐれ、運も実力のうちというのもある意味うなずけます。

仕事でも何でも秩序は大切ですが、それ以外はあるがままでいるのが自然なんだなってそう思うんです。

この世界は、平等ではない。でも平等であることが幸せとは限らない。

そして幸せと感じる基準も一概にこれとは決められない。

あの時合格しなくてよかった。もし合格してしまったら、ステキな経歴と引き換えに私の成長は止まってしまっていたかもしれません。

私のあの時の経験は、とても成長できたことだったんです。

人が人を選ぶ基準なんて、全部がいい加減で適当とは思わない。けど、ほとんどがいい加減で適当だと思います。

だから、他人の評価や評判に振り回されて人生疲弊するなんてもってのほか。

そして、自分が自分らしくあるために自分を成長させてお過ごしください。時には自分に厳しく、時には甘く。

 

 

 

 

 

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